【エッセイ】犬と小父さん|シャンソン歌手宇佐美一生、モデル、司会もやっています。

宇佐美一生研究所
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犬と小父さん

「花と小父さん」というフォーク調の歌が昔流行ったが、私は毎朝モーニングを食べに行く途中、必ず見かけるのが犬と小父さんである。
決まって小父さんである。
帰り道も。
子供や小母さんではないのである。
塾やゲーム、小母さんはくっちゃべりとTV、洗濯に忙しいのである。
暇ですることがないのは、小父さんだけで追い出されるのである。
話し相手も犬だけで、もはや会話をしなくても心は通じてるのである。
犬も解ったものでそれとばかりに小父さんの付き合いで表に飛び出し、草むらを嗅ぎ、樹の根っこに小便をひっかけ、空を見上げ、鼻をくすぐる風と遊び、又トボトボと小父さんに合わせて歩くのである。
私はゴミと小父さんである。
このモーニングを食べに行く道すがら、ゴミを拾い樹の根っこに、犬が大切なものを仕舞い隠すように、集め置くのである。
それは一キロぐらいの間に何か所もある。
何カ月か前にトムハンクスの「幸せの教室」という映画で、スーパーで働く主人公の主任が、出勤すると、スーパーの駐車場内のゴミを拾いながらゴミ箱に投げ入れ、馴染みの客や同僚に満面の笑顔で「おはよう」と言うのである。
そうなのだ、彼は人柄もよく実直で優しい良い人なのである。
そしてこの日、彼は事務所に呼び出され昇級かと思いきや、首を言い渡されるのである。
毎月成績優秀で表彰されて、行く末は課長ぐらいには成れて退職まで全うしようと思っていたのである。
彼が中学卒で学歴がなく、首を切られたのである。
私も、こんなに毎朝ゴミ拾いをしていたら、その内誰かに首になるかも知れないと思い、「そんなものか」と思って物思ってしまう。
さっきの犬と小父さんだが、私はちょっと小馬鹿と憐れみと愛情で書いたが、よく思うと、私もこの間まで犬と小父さんだったわけだ。
60の面下げてお兄さんではなく、どう見ても絵にかいたような小父さん、それも風体の上がらない、仏頂面でちょっと猫背の男が犬と一緒に歩いている。
柴犬のさくらと小父さんである。
今日は母の命日、そして浩二の誕生日、さくらも死んで早や10カ月、まさしく「人生は過ぎてゆく」である。
これからどんなことが過ぎてゆくのか・・・・