【エッセイ】失礼ですが大久保先生じゃございませんか・・|シャンソン歌手宇佐美一生、モデル、司会もやっています。

宇佐美一生研究所
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失礼ですが大久保先生じゃございませんか・・

受かると思っていた奄美大島ロケの仕事にも落ち、気晴らしにお茶の水の
山の上ホテルで本でも読もうかと思い立つ。
行き帰りに神田の書店巡りも高校の頃を思い出して楽しかろうと出発。
あまりの天気のよさに北の丸公園近くを通る時、カーナビにフェアモントホテルの文字、迂回して下りて探す。何十年か前に無くなった事は知っていたが、どうなったか知りたく、犬を連れている男にフェアモントの跡地を聞いた。今曲がり通って来たマンションの建つ所がそうらしい。懐かしく、その頃は背伸びした想い出のホテルである。こじんまりとした良く行き届いた白壁の瀟洒なホテルであった。
前にお堀が佇み川面には大木の黒い桜の幹が映っている。桜が咲いたらさぞかし綺麗だろう。

失礼ですが大久保先生じゃございませんか・・

そうだ三十代のはじめの頃此処で友人達と部屋を借りて桜の花見をした。
私は先乗りしてシャワーを浴び開放感で真っ裸で部屋をうろついた。カーテンを開け放ってる事に気がつき、不夜城の様に浮ぶ建物の中で一人裸の男がうろつくのを見て向うの北の丸公園の花見客から笑い声がして居る気がして動けなくなった。
目的の山の上ホテルに来た。今ヒルトップという名のカフェで住人や近隣の人に混じりハイカラぶって、糖尿の数値が高いのもねじ伏せてケーキとコーヒーを頼む。
来る途中店頭に山積みされた映画や演劇本に引き込まれるように入った古本屋、なぜか文学座の公演パンフレットからF1のチケット、若い頃見た洋画邦画が目に飛び込んでくる。表紙が杉村春子や大地喜和子の中に、30代の頃から可愛がってもらっている新橋耐子の舞台写真も見つける。店主と話をするがやはり偏屈である。一方的に話しプツリと終わり引出しを開けて所在なさげである。どうも私も偏屈な男と見られたらしい。外に出る。
蜂蜜と黒砂糖のようなシロップが皿一面に浮き上がって見える上には大ぶりなリンゴが半切れカットされて蜜色に光っている。白いバニラで口直しをするほど甘く、コーヒーですすぎ流す。口の中でぱらぱらと壊れる紙のようなパイを頬張り、早々と横へ追いやる。
昼時を過ぎたせいか客の話し声も無くなりカバンから本を取り出す。
今こうしてA4の水色の紙に書いているのが、浩二が還暦に贈ってくれた黒光りの金のペン先の万年筆である。パーカーのメジが擦り切れセロテープを巻きつけた愛用の万年筆から浩二のお陰で出世した。万年筆を持つ手を見るとなんとも馴染んで使い慣れて見え博識者のようで絵になる。
ふとカーラジオから聞いた「貧乏人には良い人が多い」という言葉を思い出す。
まさしく私だ。
さて読みかけの本でこのところずっと気になっていた河馬の読み方が解からない。携帯の国語辞書で検索しても思い当たるふしが出てこない。
丁度そのときである。
「失礼ですが大久保先生じゃございませんか」
丁寧におそるおそる言ったその人は私と同じ年頃の品の良い紳士であった。
打合せだろうかさっきチラッと後を向いた時その人のテーブルには大きな紙包みが二つ有った。どうもそのチラッとがいけなかったらしい。私が人を探してるように見えたのか待ち人が来ない私を大久保先生と思ったらしい。私はウエイトレスにどなたかこの字読めませんかと素っ頓狂だがよほど聞こうかと何気なく振り返っただけであった。へぇー先生に見えるんだ・・とほくそえんだが、何の事は無い、人と待ち合わせをして待ちくたびれて本を心あらずに読んでいたのが見つかっただけの事であった。
私はその後大久保先生を見ることも待たず席を立ったのである。