【エッセイ】名前|シャンソン歌手宇佐美一生、モデル、司会もやっています。

宇佐美一生研究所
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名前

さくらの水状のウンチが付いていた単庫本が、乾いて匂いもしなくなり、さくらが遠ざかっていく。
何んの匂いでもいい、いつまでもしていて欲しい。

その日さくらを点滴に連れて行こうとカバンに入れると、ゆるい縫いぐるみのようにぐにゃっと収まった。
前足を力任せにつっぱり、嫌がっていたのが、最初の頃が嘘のようで悲しい。
階段を下りる時、いつもと様子がおかしい。
取って返し、カバンから引き出した時、ダーッと液状の糞便を垂れ流した。
カバンと私のズボンに掛かる。
「さくら・・さくら・」と呼ぶ。
その時、静かにうなだれた。
私に抱かれるのを待っていたのか安心して「さよなら・・」という・・音も無い静かな終わりだった。
それが、カバンの脇に差し込んでいた単庫本である。

さくらが死んだ。
泣きながらさくらの名を呼び続け、オロオロと床と辺りに散らかった便を拭き取った。
その時の本の茶色い沁みが今も残っている。
一週間が経ちすることも無く、向田邦子のエッセイを読んでいる今日、その本がこれである。
匂いを嗅いでみる。
もうさくらのウンチの匂いもしない。
淋しい。
こうやって忘れ去られていく。
いつまでもあのウンチの匂い残っていて欲しい。

・・・その本の中で、名前について面白いことが書かれてあった。
向田邦子さんはタクシーに乗ると運転手さんの名前の書いてあるプレートを必ず見るらしい。
私もそうだった。
ここ20年以上タクシーには乗らなくなったが、当時は、まずすることは名前を確認することだった。
人の名に興味があったのかもしれない。
どこの生まれの人だろう、どんな思いでこの親御さんは名前をつけたのだろう。
想像するだけで車中も楽しくなる。
その気になったら聞いてみる。
何のことはない、直ぐ忘れるからどうでもいいことなのだが。
今でも、どこでも胸に名札を付けてる人を見ると、特にレストランなどでは、変わった名前だとどこの生まれか聞かずに居れない。
だからどうなんだ、ものの3分ぐらいで忘れるからどうでもいいことに変わりない。
こんな時頭脳の思考回路がこの向田邦子さんと一緒なのが殊更嬉しくなる。
こんな事も有った。
20年ぐらい前、小さなタブロイド版の新聞にエッセイを書く事になり表題を付ける事になった。
風、海、水、南島と好きな言葉を入れたく、たどり着いたのが「風に吹かれて」だった。
副題も付けて10編ぐらい書いただろうか。
ずっと後になって気がついたのだが、「風に吹かれて」という題の本(エッセイ)が有ったという事だ。
私も熊本で少年時代を過ごし、高校からは東京の新宿に有る高校に行く為15で下宿生活を始めたが、その辺りがこの「風に吹かれて」を書かれた五木寛之氏と似通っているのだ。
こんな題を付ける思考、まさしく「えっ!」とビックリして嬉しくなったのを覚えている。

名前に戻ると、私は宇佐美一生という芸名を使っている。
今ではもう、本名の八汐辰巳より体に染み付いてしまっている。
実はこの宇佐美一生は実在している。
私の大好きな中学時代の友達である。
卒業以来、結婚しても何回か有って親交を深めていたが、ここ何十年かは会っては居ない。
いつもどうしているか思うが、浮ぶ顔は、来年還暦を迎える顔でなく中学生のそのままである。
誰からも好かれる憧れの人気者だった。
いつも一生の周りは取り巻きがいて陽がさしていた。
一生が結婚してまもなくの頃か、「辰巳が近くにいたらなあ・・」と言ったことが有った。
当の本人は忘れていようが言われた私は嬉しかったので今でも覚えている。
今思うと何か悩んでいたのかも知れなかった。
不思議なことに、この宇佐美一生は皆んなから「一生」「一生」と呼ばれていた。私は、一生と呼ばれたことはほとんど無い。
大概「宇佐美さん」「宇佐美」である。
人間というのは面白い。
私は、「宇佐美」と言う顔をしていて、一生は「一生」と言う顔をしているのだろう。
又二人でちんまりと酒が飲んでみたい。